30代からの医学部学士編入合格への道

筑波大学医学類学士編入試験合格発表

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医学部学士編入試験の特徴
医学部学士編入の難易度
学士編入試験を行っている大学一覧
試験の時期は大学によってまちまち
入試科目が少ない
受験者の年齢:中には40代・50代受験者も
大学側が学士編入者に求める人物像について
何校でも併願可能
 学士編入試験合格作戦
学士編入試験の流れ
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・学士編入試験出願チェックリスト
分野別対策法
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・数学〜高校数学から大学教養課程まで
・物理〜高校物理を復習する
・化学〜高校化学を復習する
・生物・生命科学〜論述のための正確な知識を
・小論文〜医療のトピックス/志望動機
・個別面接・集団面接・集団討論
医学部に入ってから
学士編入生の学生生活〜勉強・学生との交流
医学部での勉強の内容
医学生向けのおすすめ参考書
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医師国家試験(国試)おすすめ参考書
マッチング制度について
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当直勤務の実際〜当直はつらいよ
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年下の上級医との接し方について
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臨床で役立つ医学書のコーナー
医師の周辺の医療関係の職種について
医師の収入〜病院勤務医と開業医
賃金と経営に対する意識はあったほうがよい
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医学部学士編入:筑波大学合格発表

医学部学士編入受験生活で初めての合格発表

医学部医学科の学士編入を目指して7か月目、初めての合格発表は第1志望の筑波大学でした。 2006年7月4日の筆記試験で自分の実力を出し切って手応えはばっちり、7月5日の面接でも全く突っ込まれず無事終了、 あとは合格発表を待つのみという状況でした(筑波大学医学類の入試本番の詳細については、 入試本番実況中継:筑波大学をご覧下さい。

手ごたえは良かったが、競争率の異常な高さのため合格できる自信は全くなかった

感触はよく手応えはばっちりではありましたが、受験者が120人もいてその中で上位5位に入り込まなければ合格できないという厳しい状況を考えると、 正直、合格できる自信はあまりありませんでした。自分の感覚で言えば合格している可能性は30%〜40%といったところでした(この数字には何の根拠もないです)。 だから8月終わりにある千葉大学、9月中旬にある群馬大学、そして次の弘前大学の2次試験の対策を進めるべく、 その前の週の土日にはKALSに行き、近くの書店で医学英語の対策本と小論文対策の本を買い込んで勉強を進めることにしていました。 こうして、運命の筑波大学の合格発表日7月11日の正午を迎えることになりました。

合格発表〜「見ようかな、でもやめようかな」逡巡の繰り返し

筑波大学医学専門学群医学類・学士編入試験合格者は、 2006年7月11日の正午に、医学棟の臨床講義室前の掲示板とホームページの2箇所で合格者が発表されることになっていました。 ホームページで合格者が発表されるのは、遠方の受験生の都合を考慮してのものでしょうが、 わざわざ合格発表の結果を見るために、大学に足を運んだ人はいたのでしょうか??

僕はその時、茨城の実家にいて、大学までの距離は約30qだったのですが、当然ホームページで見ることにしていました。 合格発表はその日の正午、ちょうど昼食時でした。 合格している自信が全くないため、合格発表を見て落ちていたら飯がまずくなると思ったので、 昼食を先に食べました。冷やし中華だったのですが、やはり合格の結果が気になって食事も砂をかむようでした。 「受かっているような気もするけど、落ちているんだろうし、もうしょうがないなあ・・・」、 「でもどうか受かってますように、神様、仏様・・・」と心の中で反芻しながらの食事は全然おいしくありませんでした。 というより全く味気ないものでした。 何とか胃袋に流し込んだような感じでしたが、やはり結果が気になって仕方がなく、 おっかなびっくり、祈るような気持ちでそっとホームページを覗いてみることにしました。

合格発表〜いよいよ決断の閲覧へ

「結果を見ようが見まいが結果は変わらない」、「遅かれ早かれ見なければならない」、 「それならいつ見るのだ?」、「今でしょう」(このフレーズ、その当時はありませんでしたがそういう気持ちで、ということです)

そのように思いを巡らせ、いよいよ意を決して結果を見る決断に至りました。

そして祈るような気持ちでブラウザのアドレスバーに指定のURLを打ち込んでみました。 この時の心拍数は150を超えていたと思います。

ブラウザに表示されたページを遠目で見ると、7桁だったでしょうか、受験番号の塊が7つ見えます。 合格者は7人ということのようです。僕はそこで意を決して受験番号に焦点を合わせてスキャンしました。 「あった!あった!」、確かに自分の番号です。間違いありません。穴があくほど見ましたが間違いありませんでした。 僕は飛び上がってガッツポーズを取り、「よっしゃー!」と雄たけびをあげました。 こんなに興奮したのは何年振りだったでしょうか。 こんなに嬉しい思いをしたのは本当に久しぶりでした。 僕の中で忘れかけていた大事なものを思い出したような不思議な感覚でした。 僕の人生は苦労の連続で何の楽しみもないまま30数年が過ぎてしまった・・・ それをこの一瞬で帳消しにできたとまで思えてしまう、まさに歓喜の瞬間でした。

正直に言ってしまうと、東大に合格したときよりも嬉しかったです。 東大合格の時も、本郷キャンパスの例の場所で自分の番号を指さして「あった」と叫んだ瞬間、 東大ヨット部の先輩たちが寄ってきて胴上げをしてくれて、それも非常に思い出に残る歓喜の瞬間でしたが、 自宅にいて味わったこの喜びの方が数倍大きかったのは何とも不思議でした。 その理由を自分なりに分析すると、人生に対する危機意識の違いではないかと思いました。 東大合格の時は当然のことながら危機感は全くなく、 「これで間違いのない人生が約束された、さあ思う存分ピアノに向かおう」という前向きな気持ちだけでしたが、 今回の医学部学士編入試験では、退職後の挑戦でもあり「これで医学部に入れなかったら転落人生かもしれないな」 という強い危機感があったのが大きな違いでした。 その危機感が僕を必死な努力へと駆り立てていたわけです。 そして今回の学士編入試験合格で、医師への道が約束されることでその危機感が一瞬にして去ったわけですから、 その分、喜びが大きかったのだと思います。

そのようなわけで、数分前のあの砂をかむような食事は何だったのだろうかと思ってしまいました。 結果論ではありますが、受かっていたのなら、合格発表の結果を先に見てから食事を食べるべきでした。 そこが何とも悔やまれましたが、合格していることが分かった今となっては、 そんなことはどうでもいいとまで思ってしまいました。

その週は、土日にKALSに行ったついでに買ってきた参考書を進めていて、その日の午後にも自分の中で進める目標を決めていましたが、 この日、それを放り投げて午後からピアノに向かったのは言うまでもありませんでした。 この最高の結果を手にしたことで、心に何のわだかまりもなく心置きなくピアノに向かえるのが嬉しかったですし、 晴れて医師を目指す第2の人生がスタートできることが約束されたことが何よりも嬉しかったです。

こうして僕は2005年12月に医学部学士編入を目指して河合塾KALSの門を叩き、受験生活として 合格を目指すことに全てを捧げた7か月の生活の後、結果的には一度の不合格も経験することなく、 受験生活を終えることができましたが、これはひとえに幸運以外の何物でもなかったと思います。 最終的には7か月で総合学力的にはこれ以上望めないくらいの高みに達していて、その「最大瞬間風速」は凄まじいほどでしたが、 いかに高い学力を持っていても、この異常な競争率の下では何があってもおかしくない状況だったと思います。 そんな中、大きな思い違いやイージーミスをせずに(そういうものがあったらこの試験は受かりようがないです)全ての問題に対処できたのは、 ラッキーという他ないと思います。

悪い方のタラレバになってしまいますが、もし僕がここで筑波大学に受からなかったら、 次は千葉大学で英語、生命科学の論述という僕の土俵外での闘いが強いられていたでしょうし、 同様に弘前大学の英語、生命科学、集団討論、集団面接、群馬大学の英語と小論文(国語)、1泊2日の合宿面接など、 僕の決して得意とは言えない分野で激戦の渦に巻き込まれていた可能性が高いです。 そうなればおそらく合格を手にするのは難しかったでしょうし、翌年、センター試験からの一般受験も考慮せざるを得ない流れになっていたと思います。 一般受験であれば学力的に合格できる自信はありましたが、この後も勉強を続けなければならず、大変だっただろうと思います。 それに30代半ばに差し掛かっていた僕は年齢によるハンディキャップを背負う恐れもありました。 気が弱く精神的にも打たれ弱いので、こういう展開になっていたら果たして僕はどうなっていたのだろうかと思うと、 寒気がしてしまいます。人生は本当に紙一重ですが、今回は幸運にも恵まれていたと思います。

僕は会社に入ってから退職するまでの経緯にも書いた通り、自分に対する自信を失いかけていましたが、 この学士編入試験合格によって、医師になるためのスタートラインに立てただけでなく、 その失いかけていた自信を取り戻すことができたのが何より大きかったです。 医学部学士編入の狭き門を潜り抜けるための熱き闘いの日々・・・ 多くの社会人が医師になることを目指して必死に努力しているそのさなかで、僕はその数少ない成功者の1人になり、 こうして真夏の曇りの日に、歓喜の雄たけびをあげました。 その喜びの影にはその何倍もの悔し涙があるのだろうと思うと、その方の分まで頑張らなければと身が引き締まる思いでした。 こんな高齢受験者を合格させてくれた筑波大学には感謝の念に堪えませんでしたし、 国の税金で医師になるからにはそれを還元して余りある立派な働きをしたいとの思いを新たにしました。 このとき僕は既に33歳で、34歳の誕生日が数日後に迫っていました。

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