30代からの医学部学士編入合格への道

医学部学士編入試験合格体験記

はじめに
管理人の場合
医学部学士編入試験の特徴
医学部学士編入の難易度
学士編入試験を行っている大学一覧
試験の時期は大学によってまちまち
入試科目が少ない
受験者の年齢:中には40代・50代受験者も
大学側が学士編入者に求める人物像について
何校でも併願可能
 学士編入試験合格作戦
学士編入試験の流れ
・学士編入試験の出願から受験・合格・入学まで
・学士編入試験出願チェックリスト
分野別対策法
・英語〜論文の大意を把握できるようにする
・数学〜高校数学から大学教養課程まで
・物理〜高校物理を復習する
・化学〜高校化学を復習する
・生物・生命科学〜論述のための正確な知識を
・小論文〜医療のトピックス/志望動機
・個別面接・集団面接・集団討論
医学部に入ってから
学士編入生の学生生活〜勉強・学生との交流
医学部での勉強の内容
医学生向けのおすすめ参考書
CBT(Computer Based Test)・OSCEとは?
臨床実習について
医師国家試験(国試)おすすめ参考書
マッチング制度について
医師になってから
医師のキャリア・学年について
臨床研修指定病院について
学士編入者の初期研修・その労働と賃金の実際
当直勤務の実際〜当直はつらいよ
勤務医の現状・実際にあった忙しかった1日
年下の上級医との接し方について
専門科目の選択肢とその時期
日本内科学会の内科認定医について
臨床で役立つ医学書のコーナー
医師の周辺の医療関係の職種について
医師の収入〜病院勤務医と開業医
賃金と経営に対する意識はあったほうがよい
医師として何を追求するか?キャリアプラン
医師の恋愛・結婚事情

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医学部学士編入試験に一発合格を果たすまで

ここでは、医学部学士編入を目指そうと思い立ってから合格を果たすまでの流れを 時系列的に(と言っても便宜上、入れ替えた部分はあります)説明していきたいと思います。 これから医学部学士編入試験を目指そうと決心している方も、決めかねて悩んでいる方も、 一度目を通していただければ、「学士編入試験というのはこういう流れで進んでいくんだ」という雰囲気はつかめると思います。

医学部学士編入を目指す多くの受験生は、志望校をあまり絞らずに手あたり次第受験する人も多いようですが、 僕の場合はそうではなく、ある程度志望校を絞り込んだうえで対策に取り組んでいましたし、 非常に運のよいことに一度も不合格とならずに無傷の一発合格を果たしてしまいました。 その点、僕の合格体験は他の合格者の皆さんほどの紆余曲折のドラマがあるわけではなく、 その結果として、ここで語れるネタが少ないのが残念ではあります。 確かに結果的には無傷の一発合格ではあるため、傍から見ると「いともあっさりと」合格したように見えてしまうようですが、 実情は全く違っていて、そう簡単に受かる試験ではないと気を引き締めて、本気で取り組んでいました。 学士編入試験の場合、当時でもどの大学も競争率が軒並み10倍以上あり、 正直に言うと自信はあまりありませんでした。ため息をつきながら「受かるといいけどなあ」と心の中でつぶやく日々でした。

学士編入試験の場合、1校当たりの競争率は現在20〜30倍と大変な数字ですが、数校受験すれば見かけの競争率は下がることになるため、 「数校受けてどこか1校に引っかかることを目指す」というのが基本的な戦略になります。 僕の場合、関東地方からは出たくないという気持ちがあり、筑波大学、東京医科歯科大学、千葉大学、群馬大学のどこかに 入れればと思っていましたが、厳しい競争であることを考えると、対象をもう少し広げて、 弘前大学、浜松医科大学も候補に挙げて、学士編入試験のための英語や生命科学、小論文など 他の学士編入受験者と同様の勉強、対策にも取り組んでいました。 (結果的には筑波大学以外は、弘前大学の1次試験を受けに行っただけであっけなく終わってしまいましたが)。

そのようなものも含めると、一応、合格体験談と呼べるものは書けるのではないかと思って、 このページを作ることにしました。 当初はサイト内の1つのページとして作っただけでしたが、今ではこのサイトの中でダントツで閲覧数の多いページに なっています(と言っても1日30〜40PV程度ですが)。

僕の場合、1度目の受験生時代は医学部には全く興味がなかったのですが、 最後の頃は河合塾の東大入試オープン、代ゼミの東大模試、駿台の東大実践模試(模試名はいずれも当時のもの、今はどういう名前か知らないです)で 東大理Tで既にA判定連発というレベルに到達していたので、あの時、一般的な国立大学の医学部を受験すれば合格していただろうと思いますし、 そのことを後悔していたりもします。 でも当時は東大に合格することだけに全身全霊を捧げていたのだから、過去を悔いても仕方のないことです。 医学部の学士編入を目指そうと思った方々の中には、「医師になりたかったが学力が足りず一度は断念したが、 その思いがどうしても捨てきれないで未練を引きずっている」という人もいるようで、 医師という職業にそこまで熱い思いを抱いている純粋さが僕にはまぶしく見えてしまうのですが、 そのような強い思いを抱いている人たちと同じ土俵で戦って勝利したのだと思うと、 「力及ばず、医師になりたいという夢を涙を飲んで封印した」という方々の分まで頑張らなければ、 との思いを新たにします。

ところで4年制大学を一度卒業した人または卒業見込みの人が医学部に入るには、 一般受験と学士編入試験受験の2つの選択肢があるわけですが、 そのどちらを選ぶか、または両方を受けるかはもちろん個々人の自由です。 学士編入試験に合格すれば医師になるまでの期間が1年〜2年短縮されるわけで 合格できるのであればという条件を付ければ学士編入試験に軍配が上がりますが、 問題は合格できるかどうか、また合格するとしてもそれまでに要する時間も加味した上で比較しなければ意味がありません。 また学士編入試験も大学毎に試験の傾向や特徴、編入生に求める資質も異なっており、 それも加味すると結構複雑ですが、 一応傾向としては、一般受験は学力重視で理系科目が得意なオールラウンダーが向いている、 学士編入試験は英語と生命科学が得意で志望動機がブラッシュアップされていて小論文など論理的な文章が得意、 面接・集団面接・討論などで建設的な意見が咄嗟に言えて、その場で臨機応変に対応できる頭の回転が速い人が向いている、 と言えるのではないかと思います。 僕のようなタイプの場合、適性的には学士編入試験よりも一般受験の方が向いていると思いますし、 学士編入試験に向いている人の条件として、他のサイトで挙げられている項目をチェックしてみると、 自分は明らかに一般受験の方が向いていると言える状況でした。 確かにそれは自分でも認識していて、一般受験の方はきちんと対策すれば合格できる自信はある程度あったのですが、 問題はそこに費やす労力です。受験英語の細かい文法をもう一度勉強しなおして、 国語では古文・漢文、社会も完全に忘れている状況でほぼゼロからスタートしなければならない、 これは途方もない労力です。集中力と記憶力には自信があるので、一度やると決めたら猛スピードで完成させようと奮起すると思うのですが、 それは学士編入試験がどうしてもダメであった場合の切り札として温存して、 まずは学士編入試験で医師への最短コースを目指そうと思ったわけです。 それに僕は結構人目を気にする方で、センター試験や2次試験で18歳の若い受験生の中に 30歳過ぎたおじさんが紛れ込んだら、周囲から白い目で見られないか、 ということを非常に気にしてしまいました。「医学部に入るためなら、そんなこと気にしている場合ではない」 と思う方がほとんどだと思いますが、小心者の僕はどうしても人目が気になってしまうわけです。 そのようなわけで、まずは学士編入試験に挑戦してみて、それでどうしても合格できる見通しが立たなければ、 その時に初めて一般受験を考えようという方針で臨みました。

もちろん、学士編入試験の最終合格者5人の枠に入り込む自信は全くありませんでした。 しかも僕は生来、集団討論や面接が非常に苦手で、学力試験で通過しても、 最終ステージでふるい落とされてしまう可能性が極めて高く、 学士編入試験ではシビアな戦いを強いられる可能性が高かったからです。 しかし学士編入試験と一口に言っても、大学によってそのタイプには大きな違いがあり、 中には学力重視型の試験を実施している大学があることも知りました。 要するに、一口に国公立大学医学部医学科の学士編入試験とは言っても、 求める人材、人物像は大学によって大きな違いがあるわけです。 受かりたい大学は、やはり地元の茨城県の大学、せめて関東地方の大学ですが、 当然のことながら、受かりたい大学と受かりやすい大学とは一般的には一致しないわけです。 学士編入試験を実施している大学は、北は北海道の旭川医科大学から南は鹿児島大学、琉球大学まであり、 どこも人気は高く、皆、医師になれるのならたとえ「江戸所払い」、「余の者、終生遠島」というのは冗談としても 島流しの刑のような状態になっても構わない、 くらいの覚悟で精力的に学士編入試験に臨んでいたようですが、 僕は「遠島」はおろか「江戸所払い」にもなりたくない、それで妥協する必要に迫られるくらいなら、 一般受験で筑波大学を目指そうと考えていました。医師になりたいけど近くの大学しか行きたくないということです。

学士編入試験は試験日が重ならない限り、何校でも何十校でも併願可能というのも大きな特徴で、 「下手な鉄砲、数うちゃ当たる」とばかりに何校も何十校も併願して、鹿児島大学の試験が終わるのと同時に 飛行機に乗って弘前大学まで移動、というようなバイタリティ溢れる全国行脚の受験活動をしていた人も複数いましたが、 僕はとにかく近隣の大学に受かるために数を絞って鉄砲の1発1発を命中させるように対策を練ろうと考えました。 と言うのも、学士編入試験の受験料は1校で約3万円と決して安いわけではなく、 しかも日本全国を飛び回る旅費(飛行機代)、宿泊費等の雑費を考えると、 最低でも1校当たり6万円は覚悟しなければなりません。 これは電機メーカー出身の貧乏サラリーマンの僕には結構な痛手になると思われました。 それに加えて、履歴書や志望動機、成績証明書、卒業証明書など出願書類を準備する手間もばかにならないですからね。

最終的に僕が選んだ大学は、第1志望:筑波大学、第2志望:東京医科歯科大学、第3志望:千葉大学、 第4志望:群馬大学、第5志望:浜松医科大学、第6志望:弘前大学、ここまでです。 弘前大学と浜松医科大学はやや遠方ですが、これは僕自身の受かりやすさも考慮した結果です。 弘前大学は学士編入枠が20人と多く、学士編入生への教育にも力を入れているように感じられましたし、 また浜松医科大学は温暖で風光明媚な静岡県にあるという環境が魅力的だったのと、 意外に学力重視型の試験内容からして、合格する確率が高いと考えたというのがその理由です。 これらの遠方の大学は受けるだけ受けておいて、行くべきかどうかは合格した後に考えればよい (辞退することも考慮に入れる)くらいに考えていました。

僕は2005年12月から、医学部学士編入の予備校として、河合塾ライセンススクール(通称KALS)に通っていて、 そこで医学英語、生命科学、小論文の講義を毎週日曜日に受けていて、そこで学士編入を目指す他の受験生たちの 動向や現在の状況を知ることができましたが、皆、北海道の極寒の地でも、東北や北陸、山陰地方の大学でも、 はては琉球大学のように異国の地と同じくらい遠い大学でも、皆、大学を選ばずに どこかに首を突っ込めれば御の字と考えていたようで、必死さが伝わってきました。 当然、僕も負けてはいられないと勉強にも自然に気合が入ってくるわけですが、 このようにモチベーションを維持・向上する上でも、KALSに通っていたのは大きなメリットでした。

しかもKALSに通っていると学士編入試験を実施している大学や難易度などの情報も入ってきますし、 情報が少なく錯綜している中で、確かな情報を入手でき、他では手に入らない過去問が手に入れることもできました。 筑波大学、浜松医科大学、弘前大学の過去問はここで入手した記憶があります。 また医学部に入った後の勉強の話や医師国家試験の話なども聞けて、これからこういう世界に入るのだという、 新たな自覚が芽生えてくるのも大きな収穫になります。

筆記試験の具体的な対策の話に移ります。
僕はプロフィールでも述べたように、東京大学理学部物理学科出身で、 数学と物理には絶対の自信を持っていて、しかも1度目の大学受験から15年経っていても、 数学や物理の公式や考え方、解法は全くと言っていいほど忘れていませんでした。 それでも無勉強で試験に臨むほどの豪傑ではなく、 数学では、高校生時代に使った「大学への数学」の「スタンダード演習」と「新数学演習」を、 問題を解かずにパラパラとめくって解答を眺めていました(これでいいんです)。 物理は大学に入った後に物理の塾講師をしていた時に使用した参考書(名前は失念)を使って、 これもパラパラとめくって問題と解答を眺めて、自分の頭の中で整理していました。

化学については、さすがに高校化学は忘れている部分が多かったので、新たに高校化学の分かりやすい参考書を1冊購入して、 これは結構真剣に最初から最後まで通読し、そのサイクルを徐々に早めていき、知識の定着を図りました。 化学は皆、理論化学(計算)が難しいと言いますが、ほとんどは比例計算でしかないので、実は極めて易しいんですよ。 だから問題になるのは無機化学、有機化学の純粋な暗記モノです。これはこのような良質の参考書を 最初から最後まで通読し、重要ポイントに意識を集中して覚え込ませるしかないです。 重要ポイントや化学の問題の解き方そのものは一度目の大学受験(東大理T)の時に徹底的に仕込んだおかげで、 身体が覚えていたので、ひたすら機械的な暗記作業に徹するだけで済んだのは大きなアドバンテージでした。

英語に関しては、医学部学士編入試験の英語は受験英語と違って、細かい語法や文法の知識が問われることはあまりなく、 速読・速解で大意や論旨をすばやく正確に把握できることが重要となります。 扱われる題材も一般的なものというよりも、医学系や薬学系の論文、 医療倫理に関する記事などが多く、その分野の最新のトピックスなどにも通じておくと大いにプラスに働くと思います。 これは小論文の対策にも通じるものがあり、医学系小論文のトピックスなどの書籍も購入して、 時間がある時に目を通しておくと後で必ず役に立つと思います。 テーマとしては、安楽死と尊厳死(自然死)、脳死と臓器移植、遺伝子診断の是非、 医師不足の問題(地域間格差)、インフォームドコンセント、全人的医療について、などです。 そしてそれに対する自分の意見、立場も考えておくと、面接や集団討論でも役に立つ可能性があります。

生命科学の勉強は、僕自身全くなじみがない分野だったので、結構大変でした。 僕は高校では生物を全く勉強していなかったので、生物・生命科学は文字通りゼロからのスタートでした。 勉強を始めたのが2005年12月で、高校生物の最も分かりやすい図解チャートが載っている参考書を購入し、 KALSの生命科学のテキストも並行して進めていきました。それから7〜8か月で何とかしなければならないと思うと、 気が遠くなるようでしたが、とにかく必死に勉強しました。最終的に6月〜7月頃には何とかなりそうなレベルまで 引き上げることができました。

4月に入るといよいよ出願の時期になり動きが慌ただしくなってきました。 受験する大学を決める上では日程も重要になってくるのですが、何とこの年(2006年)は筑波大学と東京医科歯科大学の 試験日が7月4日でバッティングしてしまいました。しかし東京医科歯科大学は出願の際に英語でTOEFLの点数を 申告する必要があることを知り、僕はTOEFLの点数を持っていなかったため、その2つが決定的要因となり、 自動的に東京医科歯科大学は選択枝から消えました。 逆に言えば、筑波大学と東京医科歯科大学がバッティングしたことで、第1志望の筑波大学の受験者数も倍率も減ることが 予想され、これは僕にとってはむしろ大歓迎で嬉しい誤算でした。 また、浜松医科大学は書類選考で指導教官からの推薦書の提出が課せられていて、一度目の大学の指導教官に推薦書を 書いてもらわなければならず、僕はそれを頼みに行く勇気が出なかったこともあって、 これも選択枝から消えました。こうして最終的に残ったのは、筑波大学、千葉大学、群馬大学、弘前大学の4校となりました。 時期的には弘前大学が6月下旬から8月下旬まで3段階選抜方式でそれぞれの段階の競争率が約3倍、最終的な競争率はその3乗で27倍、 大雑把に言って25倍から30倍と言われていました。筑波大学は7月4日に学力試験、翌5日に面接試験があるのみ、千葉大学は8月末、 群馬大学は9月半ば頃に予定されていた記憶があります。

東大駒場キャンパスに行って教養課程の成績証明書を取り、その足で本郷キャンパスの理学部1号館に行って、 理学部物理学科の成績証明書と卒業証明書を取り、志望動機のPR文を約2000字程度で書いて、 修士論文の写しを取って、履歴書を書いて、と結構面倒な作業が続きました。 単純作業で使い回しができるとは言っても、受験校が多い人の場合、さすがにこのような手間の多さも問題になってきそうでした。

上記の日程の通り、僕の学士編入試験の記念すべき第1ステージは青森県の弘前大学の第1次筆記試験でした。 これは6月25日頃だったと記憶しています。 その1週間ほど前、適当に楽天トラベルなどで宿を探すと、弘前駅周辺の格安のビジネスホテルは どこも満杯になっていました。しかも弘前大学学士編入試験の2日間以外は結構空いていたので、 これは明らかに学士編入受験生が一斉に押し寄せた結果だと思われます。恐るべし、弘前大学! それもそのはず、無理もないことです。弘前大学は学士編入枠が20人もあり、受験生はその約25倍の500人は最低でもいる 計算になるわけです。こんなことならもっと早く宿を予約しておくんだったと後悔しましたが、後悔先に立たず、 費用と距離を考慮して、やや遠い場所ではありますが、青森駅前のビジネスホテルを選びました。 皆さんもこれから遠方の地方の医学部の学士編入試験を受けに行くことがあるかもしれませんが、 その際は近隣の宿泊場所を早めに確保してしまうことをおすすめします。

試験前日に東北新幹線で八戸駅まで行き、そこからローカル線で青森駅まで約1時間の旅をすることになるわけですが、 随分遠い場所に来たんだなと旅愁が漂いました。 青森駅に到着した時はまだ午後7時頃でしたが、、駅の周辺は閑散としていて既に深夜のような雰囲気でした。 試験は英語、理科(物理、化学、生物)の4科目と小論文だった記憶がありますが、 試験の難易度自体は非常に易しく高校の教科書レベルの問題で、ほとんどできた記憶が残っています。 せっかく青森まで来たのだから、弘前城、十和田湖辺りを観光したかったのですが、 その1週間余り後に、大事な大事な大本命の筑波大学の試験が控えていることを思うと、 そんな心の余裕もなく、一刻も早く帰って勉強しなければと焦りが募り、一目散に帰途に就きました。 唯一気が利いたことと言えば、弘前駅前の売店でお土産のアップルパイを買ったことくらいでした。 そして弘前駅から八戸駅までの電車の中で、僕のことを一方的に知っている、あるKALS生から声をかけられ、 試験のことや勉強のこと、バックグラウンドのことも含めて小一時間話しました。 彼は僕のことを知っていたようですが、僕は知りませんでした(一方が透明なガラス窓、一方が全反射の鏡のような関係)。 東北新幹線に乗ってからは、僕は1週間後に迫りつつある筑波大学の対策をと焦りが募り、 高校化学の参考書を穴が開くほど読み込み、暗記の定着を図ることに全力投球していました。

その後の1週間、筑波大学対策に全力投球しました。筑波大学の前年の過去問を見ると、 学士編入試験科目は英語、数学、理科2科目(物理、化学、生物の中から 任意の2科目を選択)で、英語と数学で2時間、理科2科目で2時間の試験とのことでした。 英語と数学で2時間というのは2時間の枠内で各科目に対してどのように時間配分しても良いということで、 これは理科2科目も同様でした。時間の割り当て、問題数の分量からは、各科目の配点は均等だろう という見立てが有力でした。つまり1科目を100点満点とすれば、英語100点、数学100点、理科各100点の計400点満点の試験なのだろうと思われました。 英語は長文2題で問題文そのものも英文で示され、それに対して英語で答えたり日本語で答えたり和訳したりという、 総合力が問われる試験のようでした。2005年の過去問の数学は大問4題で非常に易しい問題でした。 物理、化学も満点こそ難しいものの、誘導に従ってなし崩し的に解いていけば自然と最後まで到達できてしまう 問題だった記憶があります。今年はどんな問題が出るのだろうとも考えましたが、全く予想がつかないし、 予想するための材料そのものがほとんどないことを考えると、考えるだけ時間の無駄で、 とにかく一般的な学力を高め、知識の定着を図り、総合的な得点力を挙げることに全力投球しました。 具体的には、1つでも多く英文を読んで速読即解の能力を最大限に引き上げること、 数学の解法を1パターンでも多く目を通すこと(特に整数問題)、 物理でも演習書全問題の問題と解答に目を通すこと、化学の最後の総仕上げをすることでした。 即席漬けの感はありますが、もともと数学と物理は得意中の得意だったため、あとは英語と化学が どれだけできるかにかかっていました。

僕の記憶が確かならば、前年の筑波大学の学士編入のデータを見ると、受験者数は約60人だったと思います(実際は54人とのこと)。 合格者数は分かりませんが、募集枠が5人であること考えると6人〜7人と思われ、倍率は8〜9倍程度の計算になります。 今現在の学士編入試験の競争率と比べると、8〜9倍というのは驚くほどではないように感じてしまいますが、 僕にとってはこのような高倍率の試験を受けるのは未経験のことで、試験日が近づくにつれて緊張が高まってきました。 それでも、僕には数学と物理という強い味方がある、 これに頼れば残りの英語と化学の出来次第では決して不可能ではない、と自分に言い聞かせました。 それにこの日は東京医科歯科大学の学士編入試験ともバッティングしていたので、 競争率は昨年よりも低下すると僕は予想していました(この予想は大幅に裏切られました)。 この筑波大学医学類学士編入試験の当日の模様、及び入試の実況中継については、 入試本番実況中継:筑波大学 に詳しく書いておきましたので、興味のある方はご覧になって下さい。

結論から先に言うと、この年の受験者数は少なくとも受験番号からは140人以上で、 空席がパラパラと目についたので、実際の受験者は120人程度だったのではないかと思います。 東京医科歯科大学と試験日がバッティングしたにもかかわらず、予想に反して受験者は激増、当日この事実を知った時の僕の動揺ぶりについては、 上にリンクを張った「入試本番実況中継・筑波大学」のところに詳しく書いた通りです。 この年、受験者が激増した理由は、後から考えれば明らかです。「つくばエクスプレス」の開通です。 つくばエクスプレスは2005年8月24日に開通し、この年はつくばエクスプレスが開通して初めての筑波大学医学類の学士編入試験でした。 つくばエクスプレス(TX)が開通してから、筑波大学は東京都心から時間的距離がより近くなったことでレベルアップ傾向にあるのは 嬉しい限りです。 ところで一方の東京医科歯科大学の受験者数はどうだったのでしょうか。筑波大学に吸い取られて、受験者数は激減したという話は聞かないですが、 TOEFLの点数を持っていることが条件ということで、多くの受験生から敬遠された可能性が高いのではないかと思うのですが。

筑波大学の入試の出来自体にはかなりの自信があり、数学は満点を逃したものの、 物理は満点の可能性が結構高く、化学も意外にすんなりできて全てある程度の自信を持って答えられ、9割は堅いと見積もりました。 英語も2つの文章どちらも大意は把握できて、ほとんどの問題に対して適切に解答できたと思います。 一言で言えば、手応えは「ばっちり」でした。 問題は2日目の面接と気合を入れて臨みましたが、面接官から質問されたこととしては、 「大学で専攻した分野の内容」、「筑波大学を選んだ理由」、 「臨床をやりたいか、研究をやりたいか」、 「どのような医師になりたいか」、「将来は地元に残りたいか」などで、 いずれも想定内の質問であり、特に突っ込まれることなく、終始和やかな雰囲気で5〜10分で終わった記憶があります。 やはり、多くの人が言うように僕も筑波大学医学類の学士編入試験において面接は重視されていないように感じました。 奇異な答え方をする常識外れの変人を除外することだけが面接の目的なのかな、と思いました。 学力試験は「ばっちり」、面接も問題なしで、合格への確かな手ごたえを掴みましたが、 それでも、これだけの受験者数がいて、その中で募集枠の5人に入るというのは 至難の業ですし、僕よりも高得点を挙げた人が他に5人いればその時点で即終了という厳しい現実を考えると、 最後の最後まで合格できる自信はありませんでした (当然のことですよね。学士編入試験終了直後に合格を確信できる人なんて絶対にいないと思います)。 そのため試験終了後の翌週にもKALSにも行き、近くの大型書店で医学系に特化した英語の参考書と小論文対策の本を買って、 次の千葉大学と群馬大学の学士編入試験対策に取り組んでいました。

7月11日の正午過ぎ、予定通りホームページ上で合格発表がありました。 結果は合格でした。受験番号が何十番も飛んでいる中に、自分の番号がしっかりと拾われている というのは生まれて初めての経験でした(東大理Tは倍率が2.5倍程度なので比べるべくもないです)。 その時の僕自身の状況については、 筑波大学医学類学士編入試験合格発表 に詳しく書きましたので、興味のある方はご覧になって下さい。 「やった〜、これで勉強から解放されて、心おきなくピアノが弾ける」というのがその時思ったことでした。 「やった〜、これで晴れて医学部に入って医師への切符を手にできる」とも思いましたが、 それよりも僕にとってはこの過酷な学士編入試験の泥沼にはまることなく、 一度も不合格を経験せずに全ての受験生活に終止符を打てたことがとにかく嬉しかったです。

これをもって僕の医学部を目指す学士編入受験生としての約7か月に渡る生活は終わりました。

その翌日、弘前大学の1次試験の合格発表があり2次試験進出となりましたが、 第1志望の筑波大学に合格したため、当然棄権しました。

筑波大学医学群は翌年(2007年)4月からの2年次編入であったため、7月早々に受験生活が 終わってしまってから8か月余りはフリーとなりました。 前述したように僕は退職後に学士編入試験に取り組んでいたため、この後は文字通り自由の身となり、 ピアノの練習に没頭しました。「みんな、まだ目の色を変えて勉強してるんだろうな」と思うと、 少し申し訳ないような気がしましたが、これは合格した者の特権でもあるのだろうと思い、 全てを忘れて自分の生活を楽しんでいました。

以上が医学部学士編入を目指した僕の生活の全てです。 他の学士編入試験経験者ほどたくさんの経験があるわけではないのですが、 それは幸運なことでもあったと思います。 いかに高い学力があって自分の勉強スタイルが確立できていたとはいえ、 こうして合格できたのは、きっとツキも味方してくれたのだと謙虚に受け止めました。

当然のことながらこの「合格」は最終目標ではなく、医師になるためのスタート地点でしかないわけですが、 僕の人生の中でも東大合格の次に位置する栄誉でした。

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